ヨガ日記
謹賀新年~寛容な心で~
明けましておめでとうございます!
今年もどうぞよろしくお願い致します。
忙しくしていた毎年の年末年始。
今年は、子供たちもそれぞれ旅に出たので、夫婦2人、
暇とも言えるほどゆっくり、のんびりと過ごしました。
毎年恒例のお節料理も、今年は何も作らず、外で(ホテル)の新年会。
久々に集まった兄弟姉妹たちとの話も盛り上り、突然話は、宗教の話題へと・・・。
それぞれが、自分の信じてる信仰があり、言葉を間違えるといやな空気が流れ出します。
まっ、そこは大人だし兄弟なので、たいしたことにはなりませんが、お互いにゆずらずの
分厚い壁を感じるところです。
古今東西、宗教間の問題は今も昔も変わらずありつづけてます。
パリ同時テロ事件をきっかけに、ものずごく話題になり、
売れてる本があるそうで、NHKで紹介されてました。
「寛容論」ヴォルテール1694~1778
一部をご紹介します。
普遍的原理は地球のどこであろうと
「自分にして欲しくないことは自分もしてはならない」
ということである。
私が訴えるのはもはや人類に対してではなく
あらゆる存在、あらゆる世界、
あらゆる時代の神であられるあなたに向かってである。
なにとぞ、われわれの本性と切り離しえない過ちの数々を
憐みをもってごらんくださいますよう。
これらの過ちが
われわれの難儀のもとになりませぬよう。
あなたがお互いに憎しみ合えとて、心を、
またお互いに殺しあえとて、手を
われわれにお授けになったのではございません。
苦しい、つかの間の人生の重荷に耐えられるように、
われわれがお互い同士助け合うようお計らいください。
すべて滑稽なわれわれの慣習、
それぞれ不備なわれわれの法律
それぞれがばかげている我々の見解
われわれの目には
ちがいがあるように思えても、あなたの目から見れば
なんら変わるところないわれわれ各人の状態、
それらの間にあるささやかな相違が
また「人間」とよばれる
微小な存在に区別をつけている
こうした一切のささやかな微妙な差が
増悪と迫害の口火とならぬようお計らいください。
すべて人は兄弟であるのをみんなが思い出さんことを。
ヴォルテール「寛容論より」
ヴォルテールは、フランス革命前の哲学者で、また作家でもありました。
その当時にはめずらしく、貴族の力を借りることなく自らの投資により
財をなし、生活費をまかなったという人です。
なので、だれかの顔色をうかがいながら、作家活動をするわけではないので、
自由な作品が多いのも特徴です。
人間は愚かな存在である。
それは、人間の無知と偏見から起こる。
と考えており、そうした偏見や不寛容さがこの世から消えない今、
ヴォルテールの「寛容論」に共感する人が多いのだと思いました。
ごもっとも!
では、無知や偏見や寛容でない自分をどうしたらよいのか・・・。
一人ひとりの根っこを変えること。
問題は一人ひとりの根っこを変えること。
戦争が問題ではなく、一人ひとりがもつ攻撃性が問題なのだ。
戦争は一人ひとりが持つ攻撃性が集積したものにすぎない。
多くの人は自分の中が平和ではないため、攻撃性が生じてくる。
問題は一人一人の根っこを変えること。ありきたりの改革はやくに立たない。
もしあなたが、沈黙し、あなたの存在に根をはり、中心につながると、あなたの才能は自動的に
機能し始める。あなたの運命があなたに機能してほしいと思っていたように機能しはじめる。
あなたは、それが割に合うかどうかも気にならず、それがあなたをもっと尊敬されるようにするかどうかも
気にならなくなる。それで十分だ。それはあなたを途方もなく楽しくする。
OSHO(和尚) 宗教家、思想家
1931年~1990年
人々の意識変革に大きな役割を果たした人として、20世紀を作った1000人のうちの一人であるとも
言われてるOSHO(和尚)の言葉です。
お寺ヨガ
1月10日 日曜日
7:30~9:00
首里 安国寺
ヨガマット持参
¥500
皆さまのお越しをお待ちしております。
Yuko Hiyane
今年もどうぞよろしくお願い致します。
忙しくしていた毎年の年末年始。
今年は、子供たちもそれぞれ旅に出たので、夫婦2人、
暇とも言えるほどゆっくり、のんびりと過ごしました。
毎年恒例のお節料理も、今年は何も作らず、外で(ホテル)の新年会。
久々に集まった兄弟姉妹たちとの話も盛り上り、突然話は、宗教の話題へと・・・。
それぞれが、自分の信じてる信仰があり、言葉を間違えるといやな空気が流れ出します。
まっ、そこは大人だし兄弟なので、たいしたことにはなりませんが、お互いにゆずらずの
分厚い壁を感じるところです。
古今東西、宗教間の問題は今も昔も変わらずありつづけてます。
パリ同時テロ事件をきっかけに、ものずごく話題になり、
売れてる本があるそうで、NHKで紹介されてました。
「寛容論」ヴォルテール1694~1778
一部をご紹介します。
普遍的原理は地球のどこであろうと
「自分にして欲しくないことは自分もしてはならない」
ということである。
私が訴えるのはもはや人類に対してではなく
あらゆる存在、あらゆる世界、
あらゆる時代の神であられるあなたに向かってである。
なにとぞ、われわれの本性と切り離しえない過ちの数々を
憐みをもってごらんくださいますよう。
これらの過ちが
われわれの難儀のもとになりませぬよう。
あなたがお互いに憎しみ合えとて、心を、
またお互いに殺しあえとて、手を
われわれにお授けになったのではございません。
苦しい、つかの間の人生の重荷に耐えられるように、
われわれがお互い同士助け合うようお計らいください。
すべて滑稽なわれわれの慣習、
それぞれ不備なわれわれの法律
それぞれがばかげている我々の見解
われわれの目には
ちがいがあるように思えても、あなたの目から見れば
なんら変わるところないわれわれ各人の状態、
それらの間にあるささやかな相違が
また「人間」とよばれる
微小な存在に区別をつけている
こうした一切のささやかな微妙な差が
増悪と迫害の口火とならぬようお計らいください。
すべて人は兄弟であるのをみんなが思い出さんことを。
ヴォルテール「寛容論より」
ヴォルテールは、フランス革命前の哲学者で、また作家でもありました。
その当時にはめずらしく、貴族の力を借りることなく自らの投資により
財をなし、生活費をまかなったという人です。
なので、だれかの顔色をうかがいながら、作家活動をするわけではないので、
自由な作品が多いのも特徴です。
人間は愚かな存在である。
それは、人間の無知と偏見から起こる。
と考えており、そうした偏見や不寛容さがこの世から消えない今、
ヴォルテールの「寛容論」に共感する人が多いのだと思いました。
ごもっとも!
では、無知や偏見や寛容でない自分をどうしたらよいのか・・・。
一人ひとりの根っこを変えること。
問題は一人ひとりの根っこを変えること。
戦争が問題ではなく、一人ひとりがもつ攻撃性が問題なのだ。
戦争は一人ひとりが持つ攻撃性が集積したものにすぎない。
多くの人は自分の中が平和ではないため、攻撃性が生じてくる。
問題は一人一人の根っこを変えること。ありきたりの改革はやくに立たない。
もしあなたが、沈黙し、あなたの存在に根をはり、中心につながると、あなたの才能は自動的に
機能し始める。あなたの運命があなたに機能してほしいと思っていたように機能しはじめる。
あなたは、それが割に合うかどうかも気にならず、それがあなたをもっと尊敬されるようにするかどうかも
気にならなくなる。それで十分だ。それはあなたを途方もなく楽しくする。
OSHO(和尚) 宗教家、思想家
1931年~1990年
人々の意識変革に大きな役割を果たした人として、20世紀を作った1000人のうちの一人であるとも
言われてるOSHO(和尚)の言葉です。
お寺ヨガ
1月10日 日曜日
7:30~9:00
首里 安国寺
ヨガマット持参
¥500
皆さまのお越しをお待ちしております。
Yuko Hiyane