ヨガ日記
自分の位置を知る
私たちは幸せになろうとして、富をもとめたり、世の中の賞賛をえようとして、または成功をもとめようと努力するのはなぜでしょう⁇
それは、不安を埋めるためだと思う。富や称賛や成功を得て、安心しようとするのだと思うのです。
しかし そのために、平凡(日常)をどれだけ忘れ、捨てて生きてきたことやら…。
何もない。何もかわらない。という日々のありがたさ。
富や称賛や成功を、凄いことに思い、逆に「平凡」を空気のように当たり前のことと思ってしまいます。
それは、すべて、心の虚しさを埋めるため人間だけが持っている心理だということです。
「自分の位置を知る」とは、自分の基本的欲求がどこまで満たされているのか、を知ること。
小さいころ 自分は何が満たされなかったのかを探り出し、それを意識できれば、自分の位置が見えてくるのなら、私にとっては何だろうと考えてみた。
そうすれば、努力の方向をまちがえないという事だ。
厳格な父親に褒められたくて、認められたかったのだけど、なかなか上手くいかず、いつも親が悲しむようなことばかりをしていた私。正直な思いとは別の言葉を発信しては、親を残念がらせ、それでも私を見捨てずに愛情を注いで教育を受けさせてくれた。私の中にある成功願望とは、親に認めてもらいたいことなのだ。なのに、他の人からの賞賛を求めた人生を歩んでいた、そのことに気づいたのだ。
もし、気づかなかったら、私は間違った人生目標を目指し負のスパイラルへと落ちていたのかも知れない…。
まずは、身体を動かしてリフレッシュすることだ。そうすると、自ずと思考は良い循環へとまわっていく。
そうなんだ、私のやるべき事は、多くの人前でスピーチすることや、多くの人に影響力をもたらすことではない。
小さな場所でいい、今いる人たちにヨガを教えてやることなのだ。
これは、アメリカのある精神科リハビリテーション病棟の壁に掲げられてるそうですが、
このメッセージを聞いて、他人事ではないような気がしました。
健康には人一倍自信があった私ですが、3年前にガンを宣告され、手術を受けました。
健康が当たり前と思っていた私にとって、目の前が真っ暗になったのを覚えています。
得意にならないようにと、神様が私に与えてくれた
メッセージだったのでしょう
整体ひやね
http://www.seitai-hiyane.jp/
それは、不安を埋めるためだと思う。富や称賛や成功を得て、安心しようとするのだと思うのです。
しかし そのために、平凡(日常)をどれだけ忘れ、捨てて生きてきたことやら…。
何もない。何もかわらない。という日々のありがたさ。
富や称賛や成功を、凄いことに思い、逆に「平凡」を空気のように当たり前のことと思ってしまいます。
それは、すべて、心の虚しさを埋めるため人間だけが持っている心理だということです。
「自分の位置を知る」とは、自分の基本的欲求がどこまで満たされているのか、を知ること。
小さいころ 自分は何が満たされなかったのかを探り出し、それを意識できれば、自分の位置が見えてくるのなら、私にとっては何だろうと考えてみた。
そうすれば、努力の方向をまちがえないという事だ。
厳格な父親に褒められたくて、認められたかったのだけど、なかなか上手くいかず、いつも親が悲しむようなことばかりをしていた私。正直な思いとは別の言葉を発信しては、親を残念がらせ、それでも私を見捨てずに愛情を注いで教育を受けさせてくれた。私の中にある成功願望とは、親に認めてもらいたいことなのだ。なのに、他の人からの賞賛を求めた人生を歩んでいた、そのことに気づいたのだ。
もし、気づかなかったら、私は間違った人生目標を目指し負のスパイラルへと落ちていたのかも知れない…。
まずは、身体を動かしてリフレッシュすることだ。そうすると、自ずと思考は良い循環へとまわっていく。
そうなんだ、私のやるべき事は、多くの人前でスピーチすることや、多くの人に影響力をもたらすことではない。
小さな場所でいい、今いる人たちにヨガを教えてやることなのだ。
「無名兵士の言葉」
大きなことを成し遂げるために 力をあたえてほしいと
神に求めたのに
謙遜をまなぶようにと 弱さを授かった
いだいなことができるようにと 健康を求めたのに
よりよきことができるようにと 病気を賜った
幸せになろうとして 富を求めたのに
賢明であるようにと 貧困を授かった
世の人々の称賛を得ようとして 成功を求めたのに
得意にならないようにと 失敗を授かった
神に求めたのに
謙遜をまなぶようにと 弱さを授かった
いだいなことができるようにと 健康を求めたのに
よりよきことができるようにと 病気を賜った
幸せになろうとして 富を求めたのに
賢明であるようにと 貧困を授かった
世の人々の称賛を得ようとして 成功を求めたのに
得意にならないようにと 失敗を授かった
これは、アメリカのある精神科リハビリテーション病棟の壁に掲げられてるそうですが、
このメッセージを聞いて、他人事ではないような気がしました。
健康には人一倍自信があった私ですが、3年前にガンを宣告され、手術を受けました。
健康が当たり前と思っていた私にとって、目の前が真っ暗になったのを覚えています。
得意にならないようにと、神様が私に与えてくれた
メッセージだったのでしょう
整体ひやね
http://www.seitai-hiyane.jp/
この記事へのコメント
この間はじめて体験でお邪魔した安次嶺です。ありがとうございました。ヨガはもちろん、この最後のお話がまさに!まさに!今の私の直面しているテーマで、お話を聞いたときかなり驚き、縁を感じました。子供と接することで、子供の頃の自分自身に出会えたりするので、このテーマはまさに旬です。育児が今は生活ベースなので、思うように参加できないことにストレスを感じないように、あまり気負わず自分のペースで細く長く続けていけたらなと思いました。またよろしくお願いします^_^
Posted by 安次嶺 at 2014年10月12日 23:55