ヨガ日記&整体ひやねin沖縄

日々の出来事や気付いた事などをアップしていきたいと思います。

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てぃーだブログ

ヨガ日記

生と死、あれから一年が経った。

あれから一年が経った…。いろんなことが起こりうる毎日の中で、私が日記に書き留め、こうして文章にするのは、いろんなことの一部分である。
書きたいけれど書けないこともいろいろあるし、もしくは時間をおいて書いたほうがいいものもある。今日はそんな日だった。プライベートなことだし、一部の人にしか伝わらないかもしれない。しかし、私は文字を起こして書くことにした。、小さなヨガ教室でのことだ。小さな集団の中にも、それぞれの生活があって、人生がある。趣味も違えば考え方も違うし、価値観だってそれぞれだ。どんな仕事をしているのか、どんな環境で暮らしているのかわからない。でもこの時間、ここで一緒にヨガをしていること。ヨガの魅力を感じている人たちの小さな集団に違いはない。

一年前のあの日、私はどこにいたのだろう。そうだったーー。
チェコ共和国。プラハにいた。前日にポーランドから、バスと電車を乗り継いで、プラハに入ったのだ。雨の中プラハ城を見学に行った。帰りのバスの時刻を勘違いしてハラハラしたのを覚えてる。あまりの観光客の多さに疲れ、世界遺産であるプラハ城も、まったく記憶に残っていない。また再訪したらいい。次回訪れるときはこうしようーー。なんて、私は、当たり前のように未来の計画を練っていた。(2019年5月26日)。
明日が来ることさえ誰にも保障されないのに。その時の私にはわかってなかったのだーー。

生と死、あれから一年が経った。


生と死、あれから一年が経った。


生と死、あれから一年が経った。




時を同じくしたこの日、ゆうかさんが、息を引き取った。まだ42歳だった。ヨガ教室で出会ってから3年。癌細胞はその時からすでに、ゆうかさんの体を蝕んでいた。
ヨガが慣れてきたころ「先生、私も実は、乳癌なんですーーー。」ゆうかさんが言った。えっ!と驚いたけど顔には出さず、私は冷静に言った。「大丈夫だよ。乳がんなんてさあ、今はいっぱいいるよ、ほら私だってこうして元気になったんだからさあ」。その2週間後,ゆうかさんは手術を受け、それから、癌治療も受けた。、そして、それから久しぶりにヨガ教室へ顔を出してくれた。髪の毛も体重も体力もすべてが、落ちていた。それでも、久々のヨガや日常に満足してる様子だった。「ゆうかさん、よく頑張ったね。おめでとう。これからまた少しづつ体力を回復していこうね」「はい、よろしくおねがいします」とゆうかさんは、にこっと微笑んだ。彼女の笑顔は印象的だった。大きく口を開けて笑うことや、口角をキリッと上げての笑みとは、また違っていた。でしゃばらず、自己の主張は控えめで、包み込む優しさがあった。今でもあの笑顔を思い出す。三人姉妹の末っ子だということを聞いた。子供のころから、お姉さんたちの言いつけやお使いを、愚痴ひとつ言わず聞いていたそうだ。がん治療の苦しい抗がん剤治療の時だって、愚痴を言ってるのを聞いたことがないと、松ちゃんは、言っていた。松ちゃんと、ゆうかさんの付き合いは、もうかれこれ10年以上になるそうだ、夫婦のように見えるけれど、夫婦ではい。新鮮さというか初々しさが今でもあるのは、ゆうかさんのあの包み込むような優しさからなのだろう、そう思う。

良い人も悪人も、金持ちも貧乏人も、幸せな人もそうでない人も、明日が来る保障なんて誰にもない。
そしてまた、今の常識が非常識になり、非常識が常識になりうることだってある、そんなことを歴史から学習したばかりだった。私は、前日までポーランドのクラクフにいた。私の目的は、自分の目で「アウシュヴィッツ強制収容所」を見に行くことだった。今では歴史博物館として整備され世界中から多くの観光客や若者が訪れている。あんな悲惨なことが本当にあったのか?あったとしたら、生き残った人たちはどういう人たちだったのだろうか?なぜ生き残れたのだろう?
最悪の状況を生き延びる精神力とは一体どういうものなのか?私の関心はそういうところにあった。なぜなら、私は自分自身の弱さを一番知っていた。不安や怒り、恐怖や、癌の宣告を受けたとき、孤独に押しつぶされそうになったとき、死んで楽になるのならーー。と考えたことがあった。私は最初から闘うことを放棄していたように思う。
そして、アウシュヴィッツを生き残った精神医学者のヴィクトール・フランクルの「夜と霧」を読むと、
「いい人は帰ってこなかった」と言っている。その言葉の意味をさらにまた考えさせられたのだった。

生と死、あれから一年が経った。



アウシュヴィッツ強制収容所で犠牲になった何万という人々の命、そしてまた毎年、癌で亡くなられる人の命、どれをとっても数にしたら、こんなにたくさんの人というだけで終わってしまうのだ。しかしここには、それぞれの人生があって、愛する人がいてその人を愛してる人がいる。

生と死、あれから一年が経った。



生と死、あれから一年が経った。



優しく包み込むあの笑みはもう帰ってこない。本当に美しい人だった。ほっそりと伸びた手脚でヨガのポーズをとるゆうかさんの姿は、これからもずっと、永遠に、私の中に残ることだろう。 
ゆうかさんのご冥福を心よりお祈りいたします。



5月23日(土) からヨガ教室再開いたしました。
コロナウイルスの感染予防対策へのご理解とご協力ありがとうございました。

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プロフィール
SeitaiHiyane
SeitaiHiyane
50代からの身体づくりをテーマにヨガ教室を運営しております。料理、ヨガ、旅をテーマに、日々の気づきを「ヨガ日記」として綴っております。

1970年、南城市出身 豊見城市在住。
『思い込みからの解放』をテーマにyogaをはじめる。
2008年 木村 慧心のもとで3年間『ヨガ療法士養成課程』を修める。
2012年 乳癌の宣告を受け、リハビリ中に大きな気づきを得る。
『もっと自由に自分らしく、そしてアクティブに生きる』ことをモットーに、アシュタンガyogaの練習を始める。現在、アクティブなヨガとセラピーyogaを実践中です。